ロセゾオ帝国・東山執政府ともに育ってきましたが、ちょっと刺激を与えてみようかと思います。敵勢力の真ん中に、飛び地を設けてみるとはたしてどうなるでしょうか。
色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 |
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ゴール朝 | ロセゾオ帝国 | 東山執政府 | ルサゲニネ帝国 | ||||
ミリワゲ帝国 | ユーツーボ王国 | ベクノ帝国 | トネヌワ帝国 | ||||
清泉政権 |
色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 |
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ゴール朝 | ロセゾオ帝国 | 東山執政府 | ルサゲニネ帝国 | ||||
ミリワゲ帝国 | ユーツーボ王国 | ベクノ帝国 | 清泉政権 |
色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 |
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ゴール朝 | ロセゾオ帝国 | 東山執政府 | ルサゲニネ帝国 | ||||
ミリワゲ帝国 | ベクノ帝国 | ミオスミニ帝国 | 南晋 | ||||
ボカーネウロ王国 |
国名 | 金 | 食糧 | 人口 | 経済力 | 農産力 | モラル | 兵 |
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合計・平均 | 29127 | 28432 | 29997 | 599 | 150 | 96.67 | 46 |
トルキスタン | 9939 | 9552 | 9999 | 200 | 81 | 100 | 6 |
チベット | 9389 | 9440 | 9999 | 200 | 56 | 95 | 20 |
小アジア | 9799 | 9440 | 9999 | 199 | 13 | 95 | 20 |
国名 | 金 | 食糧 | 人口 | 経済力 | 農産力 | モラル | 兵 |
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合計・平均 | 38620 | 37908 | 39182 | 754 | 195 | 88.25 | 66 |
トルキスタン | 9999 | 9552 | 9999 | 184 | 46 | 100 | 6 |
チベット | 9023 | 9476 | 9185 | 171 | 56 | 77 | 20 |
小アジア | 9799 | 9440 | 9999 | 199 | 13 | 78 | 20 |
南インド | 9799 | 9440 | 9999 | 200 | 80 | 98 | 20 |
国名 | 金 | 食糧 | 人口 | 経済力 | 農産力 | モラル | 兵 |
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合計・平均 | 45794 | 47317 | 48317 | 966 | 391 | 96.8 | 86 |
トルキスタン | 9879 | 9552 | 9999 | 200 | 13 | 100 | 6 |
チベット | 7218 | 9507 | 8321 | 167 | 94 | 96 | 20 |
小アジア | 9599 | 9440 | 9999 | 199 | 17 | 98 | 20 |
南インド | 9499 | 9440 | 9999 | 200 | 67 | 90 | 20 |
バルト海東岸 | 9599 | 9440 | 9999 | 200 | 200 | 100 | 20 |
アル・ザロニ 1742〜1807(在位1747〜1807)
1807年 執務中に逝去
9男14女をもうける
その武威は四囲に並び立つ者なく、彼に率いられた兵は命を惜しまず戦ったという
臣民の熱狂的な支持に後押しされ、内政に外交に辣腕を振るった
ユーラシアに開かせた「四弁の花」は、咲き誇るか、それとも散り落ちるか
在位中の戦績、全96戦70勝11分、国王戦績64戦59勝5分
ジテザード
1807年 国王逝去にともない、首都郊外にて隠遁生活に入る
9男14女をもうけ、次代国王の生母にあたる
聡明さは官僚も舌を巻くほどだった
宮廷出納長の談によると、光熱費がかさんだ季節が35回あったというが、何のことかはわからない
というわけで、この代では飛び地経営に力を入れました。せっかく作った飛び地を盗られてしまってはかなわんので、兵を20部隊(軽弓騎兵)置いています。
私の(甘い)見通しでは、飛び地の周りの国々では、そこに備えて兵をためるのに躍起になるのではないかと思っていました。そのたまった兵は、当然飛び地自身には攻め入れません。矛先は手薄なゴール朝の本国・トルキスタンに向かい、じゃんじゃん戦闘を楽しめるのではないか、などと考えていましたが…
ところがそううまくはいかないようで、特別トルキスタンへの攻撃が多いとはいえませんでした。その上、攻めてくる兵力も7〜8部隊での侵攻が主になりました。バックに大兵力を背負っては、そうなるのも当然ですね。
結局思惑と逆の結果になってしまったこの飛び地計画。唯一の利点としては、王子や婿どのを放逐せずに有効活用できる場ができた、ということですね。