この代におけるプレー・コンセプトは、まず人口を増やして国力を高め、引きこもり体勢を整えることです。それができたら次代以降の備えとして、特産品をできるだけ買っておこうと思います。
色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 |
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モンゴル帝国 | クマン族同盟 | 金 | 西夏 | ||||
ウイグル王国 | 西遼 | 吐蕃 | 高麗 | ||||
鎌倉幕府 | 南宋 | 大越・大理連合 | パガン朝 | ||||
セルジューク連邦 | アイユ−ブ朝 | アルモハード帝国 | カリフ領 | ||||
ホラズム帝国 | ゴール朝 | インド諸王朝 | キエフ公国 | ||||
ラテン帝国 | リトアニア諸国 | ポーランド王国 | ハンガリー王国 | ||||
神聖ローマ帝国 | アンジュー朝 | カペー朝 | スペイン諸王朝 |
色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 | 色 | 国名 |
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モンゴル帝国 | クマン族同盟 | 金 | 西夏 | ||||
ウイグル王国 | 鎌倉幕府 | 南宋 | セルジューク連邦 | ||||
アイユ−ブ朝 | カリフ領 | ゴール朝 | インド諸王朝 | ||||
キエフ公国 | ラテン帝国 | リトアニア諸国 | ポーランド王国 | ||||
ハンガリー王国 | 神聖ローマ帝国 | アンジュー朝 | ドオヨタース王国 | ||||
ゾケーメー諸族 |
国名 | 金 | 食糧 | 人口 | 経済力 | 農産力 | モラル | 兵 |
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合計・平均 | 2630 | 4226 | 6150 | 95 | 103 | 66 | 16 |
パンジャブ | 1490 | 2050 | 3100 | 57 | 48 | 73 | 8 |
ヒンドスタン | 1140 | 2176 | 3050 | 38 | 55 | 59 | 8 |
国名 | 金 | 食糧 | 人口 | 経済力 | 農産力 | モラル | 兵 |
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パンジャブ | 9939 | 4926 | 9999 | 200 | 200 | 100 | 6 |
ゴーリー 1165〜1233(在位1203〜1233)
1233年 執務中に逝去
8男7女をもうける
武勇の誉れ高く、彼に率いられた兵は命を惜しまず戦ったという
民を引きつけるカリスマ性を持ち、侍臣の意見をよく聞き政務を取り仕切った
国力増強に力を注ぎ、金城湯池たる都を作り上げた
在位中の戦績、全15戦9勝5分、国王戦績14戦9勝5分
シーリーン
1233年 国王逝去にともない、首都郊外にて隠遁生活に入る
8男7女をもうけ、次代国王の生母にあたる
妻として母として気丈に国を支え、また評判の美女だったといわれている
宮廷出納長の談によると、光熱費がかさんだ季節が19回あったというが、何のことかはわからない
最初にパンジャブが襲われたとき(1208年春、相手はホラズム帝国)はピンチでした。人口を増やすべく、商人から軽歩兵を雇っては放し、というのを繰り返していたので、訓練度も装備率も低い状態で立ち向かわなければなりませんでした。
城防御度は70ぐらいあったものの、こちら側の全ての部隊が兵50未満にまで減らされるという大苦戦を強いられたものの、なんとか部隊の損失なく守り抜くことができました。
この代でのもうひとつの目標であった特産品を買い集めることですが、温帯地域で食糧収入が結構あるため、ゴーリーで全ての特産品を満タンにできました。これで息子たちもオルドのときにやりまくりのヤりまくりで、王家は安泰万々歳ですね(もちろん、エッチするだけが目的ではなく、入り用なときの備えとしての意味もあるのですが…)。